ペリー来航(1853年)から14年で大政奉還。
その翌年が明治元年だ。
ちなみに開国はずっと前。
すでにペリー来航の翌年には日米和親条約(神奈川条約)を結び、
下田・箱館2港を開いた。
日米修好通商条約など(安政の5ヵ国条約)が
調印されている。
この開国を引き金として、時代は幕末の激動へと突入した。
その不平等条約が最終的に改正されたのは、
明治44( 1911年)年のこと。
欧米以外の国で初めて、 欧米列強と肩を並べる主権国家の地位を
獲得した。 世界史上の壮挙だろう。
戦後早くも70年。
しかも、そのことを問題視する感覚すら殆どないのが実情だ。
明治元年から大東亜戦争開戦迄が73年で、ほぼ同じ位の期間。
終戦の昭和20年から70年遡ると、西南の役よりも前になる。
余りにも長過ぎる「惰眠」と言うべきか。
その翌年が明治元年だ。
変革期の時の流れは早い。
ちなみに開国はずっと前。
すでにペリー来航の翌年には日米和親条約(神奈川条約)を結び、
その更に4年後には、
調印されている。
この開国を引き金として、時代は幕末の激動へと突入した。
その不平等条約が最終的に改正されたのは、
明治44(
ペリー来航から60年弱。
欧米以外の国で初めて、
獲得した。
大袈裟でなく、
これを戦後の日本と比べるとどうか?
戦後早くも70年。
今なお「事実上の米国の被保護国」のまま。
しかも、そのことを問題視する感覚すら殆どないのが実情だ。
明治元年から大東亜戦争開戦迄が73年で、ほぼ同じ位の期間。
終戦の昭和20年から70年遡ると、西南の役よりも前になる。
余りにも長過ぎる「惰眠」と言うべきか。